放置ばかりのだめブログ。
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お勧めしてもらった寺田寅彦随筆集です。
岩波少年文庫なので読みやすいライトなものが多かったですが、
ヘタレな文系の僕にはちょうど良かったです。
寺田寅彦って知ってるんだけど何だったかなーと思っていたんですけど、
中学の国語の先生が寺田寅彦好きで、実力テストの題材になってたんだった。
頭の良い科学者と悪い科学者の話だったと思います。
自然をよく観察することから意外な発見や法則を見つけて、それを筋道つけて書いています。
身の回りには科学や物理の面白さがたくさん潜んでいるんですね。
寺彦の生きていた当時とは身の回りの「自然」もずいぶん変わっていますけど、
それは隠れた科学が少なくなったのではなくて、妖怪が科学の中に上手く隠れたように、
科学の面白さも姿を変えて隠れているだけのことなんでしょう。
大事なのは物の見方と考え方、ということです。
この人が書いていることって、今の時代に照らして考えても的外れじゃないというか、
むしろ将来の科学や世間に対しての予言が的中してる感じがします。
地震に関する随筆も入っていて思いがけずタイムリーな題材だなと思いながら読んだんですけど、
そこに書いてあることが今回の震災の被害や事態の進行をびっくりするくらい言い当てていました。
大雑把な要旨を書いてみます。
あるとき地震や大津波で甚大な被害に逢った人々は、
さしあたってはその地から距離を置いて高い土地や遠方に移住するが、
世代交代に伴って被害の記憶は忘却されるので、銃声に驚いた海鳥が
時間が経つにつれて舞い戻ってくるように人々も被災地に戻ってくる。
このとき戻ってきた人は前回の地震を直接的に体験していないため
防災の意識は低く、伝聞の知識としていつかまた大地震に
見舞われると知ってはいるがそのための対策は立てない。
そして何十年かした後に再び地震が起こり被害を受けてしまう。
前回の地震を知っている老人や地質学の専門家たちは、
「いつか地震が来ると分かっていたのに何故対策を立てていなかったのか」と言い、
被災者は「そろそろ大きな地震が来そうだと分かったなら教えてほしかった」と言う。
専門家は「それは何十年も前から警告してきたことであって、
それに耳を貸さないのが悪い」と反論し、
被災者は「そんな昔のことなどこの世知辛い世間の中で覚えていられない」と言う。
これは「人間界の自然の法則」である。
この法則を乗り越えて被害を最小限に防ぐには、
地震発生の周期よりも長く有効な警告を発し続けるか、
地震の周期そのものを短くして記憶が忘却される前に発生させてしまうしかない。
警告については政府が法令を出したり専門家が災害予防案を作成する、
人通りのあるところに慰霊碑を建てることなどがあげられるが、
次回の地震までの世代交代や開発の進行などで忘却されてしまうかもしれない。
地震の周期を短くする、つまり「天災は忘れない頃にやってくる」ようになれば、
それはもはや天災ではなく日常的な現象になるので大きな被害は防がれる。
あるいは、人間の寿命を何倍かに延ばすことでも同様の効果が得られるだろう。
これらには不可能なものや頼りにならないものもあるので、
やはり現実的な対策として人間がもう少し過去を忘れない努力をするべきである。
そのために一部の人間が警告を発するのではなく、
国民一般の防災意識を高めるために小学校での初等教育で
地震・津波に対する基本的知識を教え、前回被災した老人や
専門家による特別講演で被害の恐ろしさを教えるなどするのが妥当である。
米英仏の初等教育はこういったことを教えないが、
それはかの地で地震の被害がないからである。
風土や状況が異なるにもかかわらず、
外国のマニュアルを鵜呑みにするのは愚かなことである。
初等教育での愛国精神の発現の中でも、
災害予防は最も手近で有効なものであろうと思われる。
相当ちぢこめましたが、論旨はこんな感じでした。
「人間界の自然の法則」は、まさにその通りですね。
着の身着のままで避難所に駆け込んだ方も多かったようですけど、
やっぱり対策が万全でなかったからそうなってしまったということなんでしょう。
いえ、被災者の皆さんに文句を言っているわけではありません。
対策が甘くなってしまったのは上述の法則に従えられてしまっただけのことであって、
それをとやかく言うことは僕などには出来ないのですから。
実際、我が家の防災セットにも期限切れのカンパンが入っていました。
結局のところ、寅彦が言った「人間の自然の法則」は21世紀となった今でも有効であって、
過去の記憶を伝達するという技術は十分に進歩していないということです。
要するに、寅彦の先見の眼力すげー。この一言が言いたかったのです。
物理学の研究でも成果を上げ、このように随筆も多くの題材を上げて執筆し、
さまざまな人との交流の中で俳句や絵画もたしなんだという寺田寅彦に
ルネサンス的天才の影を感じました。
寅彦自身は自分の才能について否定的だったようですが、
あらゆることに興味を持ち、積極的に物事に取り組んでいくという資質は
ルネサンス的天才に不可欠なものです。寅彦はそれを持っていたと思われます。
はじめの3つ4つくらいを読んでツボにはまって、一気読みしてしまいました。寝不足です。
科学エッセイってあまり読んだことがなかったけど、これを機にもう少し探してみようと思っています。
もんごるさん、オススメありがとうございました。
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Re:いたしまして
こっちに行っちゃいました。
お嬢様もデュラララを推してくるので、
機会があったら読んでみます。
お嬢様もデュラララを推してくるので、
機会があったら読んでみます。
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