放置ばかりのだめブログ。
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先ほどの記事で少し触れましたが、このカテゴリでも改めてお知らせします。
さる2012年7月某日、HDが突然故障し、保存していたデータが全て消失してしまいました。
かどものの開発中のシナリオデータも、バックアップを取るのを怠っていたため、
データを復旧することができなくなり、最初から作り直さなければならないことになってしまいました。
しかしながら、時間の関係やモチベーションの低下から、
莫大な作業時間を要したかどものの再開発をすることは難しく、
大変申し訳ないのですが、開発の中止を決断いたしました。
完成をお待ちいていただいた方、また一部の友人たちにはお詫びのしようもありません。
開発当初から、この作品だけは最後まで作り上げると声高に宣言していただけに、
このような結果になってしまったことを不甲斐なく思っています。
今後何かを制作する場合には、開発データの定期的なバックアップや
モチベーション管理を徹底して行うつもりです。
厚かましいお願いですが、次の機会がありましたら、ぜひ、また応援をいただきたいと思います。
以下、これまでのかどもの制作に関して思うこと、感じたことをつらつらと書きつけていきます。
さる2012年7月某日、HDが突然故障し、保存していたデータが全て消失してしまいました。
かどものの開発中のシナリオデータも、バックアップを取るのを怠っていたため、
データを復旧することができなくなり、最初から作り直さなければならないことになってしまいました。
しかしながら、時間の関係やモチベーションの低下から、
莫大な作業時間を要したかどものの再開発をすることは難しく、
大変申し訳ないのですが、開発の中止を決断いたしました。
完成をお待ちいていただいた方、また一部の友人たちにはお詫びのしようもありません。
開発当初から、この作品だけは最後まで作り上げると声高に宣言していただけに、
このような結果になってしまったことを不甲斐なく思っています。
今後何かを制作する場合には、開発データの定期的なバックアップや
モチベーション管理を徹底して行うつもりです。
厚かましいお願いですが、次の機会がありましたら、ぜひ、また応援をいただきたいと思います。
以下、これまでのかどもの制作に関して思うこと、感じたことをつらつらと書きつけていきます。
開発中止を伝える場で、それ以外の内容を含むものを
続けて書くべきかについては、いろいろと悩みました。
「制作日誌」といえども人が読むのである以上、
文章は複数の主題にまたがって書かれるべきではありません。
しかし、ここはあくまで「日誌」としての性質、制作に関して制作者が導いた結論と、
その思考の過程をも含めて吐露する場としての性質を押し出して、
この場で僕の思考を述べることにしました。
考えてみれば、そもそもこの企画は制作日誌のその側面、
単なる開発の進捗状況の報告ではなく、
開発における制作者の思考・主観を述べていく側面を
強くあらわそうとするものでした。
制作は途切れがちで、結局最後にはとん挫してしまいましたが、
この「制作日誌」のありようだけは、最後まで一貫させたいと思います。
さて、結局完成を見ることができなかったこの企画ですが、
僕個人としては様々な収穫がありました。
まず第一に、シナリオプロットを丁寧に作ること、
伏線や展開を細かく構築していくことを通して、
物語を作ることに関して多くのスキル・メソッドを発見、模索、実践し、
以前より確実に制作力を高められたということです。
様々な設定を考えるうえでいろいろなことを調べたり、
普段からアンテナを張り巡らせることで、
主にファンタジーに関する知識がずいぶんと広げられました。
第二に、実際にカードワースのプロジェクトをこね回すことで、
フラグ管理やイベント構築について、飛躍的にスキルアップすることができました。
一部のミニゲームのイベントはかなり複雑な処理を行うことになってしまい、
それらを効率的に管理するための手法を調べたり考えたりすることで、
いわゆる「プログラミングの思考法」の基本を培うことができたように思います。
第三に、このブログで日誌を書きながら制作を進めることで、
長期的な制作方針を決めることと、
人に「伝わる」物の書き方というものを考えるようになりました。
記事の内容についてもそうですし、
ストーリーの展開やイベントの演出などについても
読む人、プレイヤーを意識するようになりました。
ただ、第三の点についてはどこまで実施できていたか自信がありませんし、
シナリオが実際にプレイされることはない以上、検証をすることもできないのですが。
第一、第二の点についても、わざわざ他人の前でやることではないと思っています。
コツコツと「習作」をハードディスクに溜め込みながら身に付けていくべきことです。
「制作日誌」と銘打ってはいるものの、公開の場で人に読まれる以上は
制作物が完成することを前提とされますので…。
完成しなかった作品の制作の過程で
制作者が何を得ようがどう変化しようが、あまり関係ないのではないかなあと。
先ほども述べましたが、やはり本来ならこのようなことを
追記で述べるべきではないのだろうと思います。
ですが、あえてこうして続きとして書いたのは、すでに述べた理由もありますが、
それに加えて二つ、強調しておきたい理由があるからです。
それは、僕自身が将来この記事を見たとき、
単なる失敗・挫折の記憶だけでなくそこから得た様々なものを
同時に思い出すことができるようにするためと、
今後、(非常に低確率ですが)僕以外の誰かがこの記事を見たとき、
このような方法(制作の過程をリアルタイムにオープンにする)で制作を行うことで
失敗しても得られるものがある、ということを理解してほしかったからです。
一つ目の理由は、情けないですが、要するに自己弁護です。
いつかまた何かを制作したいと思った時に、
かどものの制作をただのトラウマとして認識することのないように、
こうしてポジティブな内容を付け加えています。
制作の中止というネガティブな内容と、この追記を一連の文章として書くことで、
少しでもマイナスのイメージを薄めておきたいという魂胆です。
もう一つの理由は、こちらもあまり説得力がないかもしれませんが、
この追記を他の人に向けたエールとしたいと思ったからです。
何一つ結果を残せていない僕が言うのもおこがましいのですが、
ゲームの制作に限らずどのようなものであれ、
「とにかく実際にやってみる」ということ以上に上達に役立つものはないのです。
もし、(やっぱり低確率ですが)この制作日誌を見て、
リアルタイムでオープンな制作日誌をつけるという方法で
なにかを制作してみようという気になった人がいたとき、
あるいは少しでも制作意欲が刺激されたという人が現れたとき、
僕の書いたこの日誌が、「HDが破損したため開発断念」という単なる挫折の事実だけで
ぶつ切りになっていたら、きっとせっかくのモチベーションも翳ってまうでしょう。
「エターナル」という言葉がフリーゲーム界隈で
独自の意味を持って定着しているという事実が、
作品が完成しないことに対して制作者が
どれほど敏感になっているかを表していると思います。
たしかに、完成しないのではないかと思いだしたら、
制作に費やす時間や労力が無駄になるような気もしてくるでしょう。
さらに、実際に完成をあきらめたことがある人は、
その労力や時間が無駄だったと感じるでしょう。
僕もHDが壊れたときは、制作につぎ込んだ時間と労力がもったいなくて、
すごく損をしたような気になって、とてもへこみました。
しかしながら、なにも作り始めないままでは、
その作品は永遠に妄想に過ぎないのです。
脳内からアウトプットした途端に驚くほど劣化して見えて、
続きを考える気持ちがなくなったとしても。
「アウトプットを試みた」というその事実は、確実に経験値となって蓄積されます。
まあ、とりあえずアウトプット→挫折 を繰り返すだけではなかなか上達はできませんが…。
「とにかく実際にやってみる」こと、これが、今後この日誌を目にした人に向けて伝えたいことです。
失敗を恐れずに、自分の思うとおりにまずは行動を起こしてみること。
これが何事においても重要だと、かどもの制作を通して感じました。
もし、これを読んでいるあなたが、
何か新しいことや困難を伴うことに取り組もうとしているなら、
ぜひ失敗を恐れずに挑戦してみてください。
そして、それをやり遂げることができなかったとしても、必要以上に落胆しないでください。
その挑戦を通して得られたことに目を向けて、次の挑戦への糧にすること。
それが、失敗を恐れず果敢に挑戦した過去の自分に報いることになるはずです。
僕の挑戦は、不本意ながら、ここでひとまず終わりとなります。
しかし、この制作日誌を書いてきた過去の僕に顔向けできるよう、
何か新しい挑戦をしていきます。
それが何になるかわかりませんが、皆さんにお見せできる類のものだったなら、
また、懲りずにここであがいてみたいと思います。
では、またお目にかかる時まで。
皆さんの挑戦が、努力が、実を結ぶことを祈って。
続けて書くべきかについては、いろいろと悩みました。
「制作日誌」といえども人が読むのである以上、
文章は複数の主題にまたがって書かれるべきではありません。
しかし、ここはあくまで「日誌」としての性質、制作に関して制作者が導いた結論と、
その思考の過程をも含めて吐露する場としての性質を押し出して、
この場で僕の思考を述べることにしました。
考えてみれば、そもそもこの企画は制作日誌のその側面、
単なる開発の進捗状況の報告ではなく、
開発における制作者の思考・主観を述べていく側面を
強くあらわそうとするものでした。
制作は途切れがちで、結局最後にはとん挫してしまいましたが、
この「制作日誌」のありようだけは、最後まで一貫させたいと思います。
さて、結局完成を見ることができなかったこの企画ですが、
僕個人としては様々な収穫がありました。
まず第一に、シナリオプロットを丁寧に作ること、
伏線や展開を細かく構築していくことを通して、
物語を作ることに関して多くのスキル・メソッドを発見、模索、実践し、
以前より確実に制作力を高められたということです。
様々な設定を考えるうえでいろいろなことを調べたり、
普段からアンテナを張り巡らせることで、
主にファンタジーに関する知識がずいぶんと広げられました。
第二に、実際にカードワースのプロジェクトをこね回すことで、
フラグ管理やイベント構築について、飛躍的にスキルアップすることができました。
一部のミニゲームのイベントはかなり複雑な処理を行うことになってしまい、
それらを効率的に管理するための手法を調べたり考えたりすることで、
いわゆる「プログラミングの思考法」の基本を培うことができたように思います。
第三に、このブログで日誌を書きながら制作を進めることで、
長期的な制作方針を決めることと、
人に「伝わる」物の書き方というものを考えるようになりました。
記事の内容についてもそうですし、
ストーリーの展開やイベントの演出などについても
読む人、プレイヤーを意識するようになりました。
ただ、第三の点についてはどこまで実施できていたか自信がありませんし、
シナリオが実際にプレイされることはない以上、検証をすることもできないのですが。
第一、第二の点についても、わざわざ他人の前でやることではないと思っています。
コツコツと「習作」をハードディスクに溜め込みながら身に付けていくべきことです。
「制作日誌」と銘打ってはいるものの、公開の場で人に読まれる以上は
制作物が完成することを前提とされますので…。
完成しなかった作品の制作の過程で
制作者が何を得ようがどう変化しようが、あまり関係ないのではないかなあと。
先ほども述べましたが、やはり本来ならこのようなことを
追記で述べるべきではないのだろうと思います。
ですが、あえてこうして続きとして書いたのは、すでに述べた理由もありますが、
それに加えて二つ、強調しておきたい理由があるからです。
それは、僕自身が将来この記事を見たとき、
単なる失敗・挫折の記憶だけでなくそこから得た様々なものを
同時に思い出すことができるようにするためと、
今後、(非常に低確率ですが)僕以外の誰かがこの記事を見たとき、
このような方法(制作の過程をリアルタイムにオープンにする)で制作を行うことで
失敗しても得られるものがある、ということを理解してほしかったからです。
一つ目の理由は、情けないですが、要するに自己弁護です。
いつかまた何かを制作したいと思った時に、
かどものの制作をただのトラウマとして認識することのないように、
こうしてポジティブな内容を付け加えています。
制作の中止というネガティブな内容と、この追記を一連の文章として書くことで、
少しでもマイナスのイメージを薄めておきたいという魂胆です。
もう一つの理由は、こちらもあまり説得力がないかもしれませんが、
この追記を他の人に向けたエールとしたいと思ったからです。
何一つ結果を残せていない僕が言うのもおこがましいのですが、
ゲームの制作に限らずどのようなものであれ、
「とにかく実際にやってみる」ということ以上に上達に役立つものはないのです。
もし、(やっぱり低確率ですが)この制作日誌を見て、
リアルタイムでオープンな制作日誌をつけるという方法で
なにかを制作してみようという気になった人がいたとき、
あるいは少しでも制作意欲が刺激されたという人が現れたとき、
僕の書いたこの日誌が、「HDが破損したため開発断念」という単なる挫折の事実だけで
ぶつ切りになっていたら、きっとせっかくのモチベーションも翳ってまうでしょう。
「エターナル」という言葉がフリーゲーム界隈で
独自の意味を持って定着しているという事実が、
作品が完成しないことに対して制作者が
どれほど敏感になっているかを表していると思います。
たしかに、完成しないのではないかと思いだしたら、
制作に費やす時間や労力が無駄になるような気もしてくるでしょう。
さらに、実際に完成をあきらめたことがある人は、
その労力や時間が無駄だったと感じるでしょう。
僕もHDが壊れたときは、制作につぎ込んだ時間と労力がもったいなくて、
すごく損をしたような気になって、とてもへこみました。
しかしながら、なにも作り始めないままでは、
その作品は永遠に妄想に過ぎないのです。
脳内からアウトプットした途端に驚くほど劣化して見えて、
続きを考える気持ちがなくなったとしても。
「アウトプットを試みた」というその事実は、確実に経験値となって蓄積されます。
まあ、とりあえずアウトプット→挫折 を繰り返すだけではなかなか上達はできませんが…。
「とにかく実際にやってみる」こと、これが、今後この日誌を目にした人に向けて伝えたいことです。
失敗を恐れずに、自分の思うとおりにまずは行動を起こしてみること。
これが何事においても重要だと、かどもの制作を通して感じました。
もし、これを読んでいるあなたが、
何か新しいことや困難を伴うことに取り組もうとしているなら、
ぜひ失敗を恐れずに挑戦してみてください。
そして、それをやり遂げることができなかったとしても、必要以上に落胆しないでください。
その挑戦を通して得られたことに目を向けて、次の挑戦への糧にすること。
それが、失敗を恐れず果敢に挑戦した過去の自分に報いることになるはずです。
僕の挑戦は、不本意ながら、ここでひとまず終わりとなります。
しかし、この制作日誌を書いてきた過去の僕に顔向けできるよう、
何か新しい挑戦をしていきます。
それが何になるかわかりませんが、皆さんにお見せできる類のものだったなら、
また、懲りずにここであがいてみたいと思います。
では、またお目にかかる時まで。
皆さんの挑戦が、努力が、実を結ぶことを祈って。
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